刀剣コレクターを目指して

初心者が日本刀を手にしたいと考える場合、まずは、メンテナンスや保管場所をお考えなくてはならないでしょう。さらにはコレクションする刀剣が、古刀でor新刀であるのかをまずは分類として定めることが重要です。そして予算によって、その選択枠はだいぶ変わってくるようです。刀剣の専門点などでは、専門的な知識を得たスタッフさんが様々な情報とともにアドバイスをいただけるでしょう。何よりも初めて刀剣をコレクションする際には、どんなことを基準に購入するべきなのかといったようなことが、全く右も左も分からない状態であるのではないでしょうか。まずは自分自身の基準を定めるためにも予算は重要な手掛かりとなってくるはずです。そこからお店のスタッフの方などと様々なジャンルの刀剣の種類から選び抜くことが必要となりますが、刀剣は欲しいと思って購入する既製品とは異なります。観賞用のピン「模造刀」などもありますが、 在銘品は簡単に手にできるものではないはずです。刀剣は、ピンからキリまでありますが、コレクションをするためのものとなると気軽に手に入るもので満足できるかと言いますとなかなかそうはいかないもののようです。刀剣のかつや価格は希少性に値するんだとも言われています。何よりも皆さんの好みを探ることによって、念願の一振りに出会えるのではないでしょうか。

刀剣はストーリーを語る

日本刀コレクションする魅力の一つとしては、何百年も昔の歴史のストーリーがある点かもしれません。消して日本史上や教科書などでは語られないような物語がいくつもそこに関わっていることで、現在の私達の目の前でその姿を披露してくれているんだと思います。また世界各国の好きな頭から比較すると日本刀の美しさは別格であるなどという人もいるようです。実際に海外から日本刀をコレクションするためにインバウンドとして訪れる人々もいるようなのです。日本刀は日本の文化を伝える上で大変貴重な存在であるのではないでしょうか。もし皆さんが日本刀を手にしたいと考えられるのであれば、まずその保管場所を見つけなくてはならないでしょう。刀剣は、湿気に弱く、装飾は日差しに弱いなどと言われ、その保管場所は大変難しいなどとも言われています。また、保管場所以外にも定期的なメンテナンスが大変重要と考えられています。日本とは生き物であります。そのような想いをもって接することで、未来の人々に物語を伝承することができるのだと思われます。

安土桃山時代の技法

安土桃山時代に入ると、織田信長や豊臣秀吉の支配する時代に入ります。豪華絢爛な文化がさまざま生まれた時代とも言われています。この時代は、海外発展や国内の革新に積極的な時代であり、西洋文化を取り入れようという動きも盛んに行われていました。いわゆる南蛮文化と呼ばれるものです。西洋の輸入品が影響したとも言われています。また、下剋上で勝ち抜いてきた新たな勢力が台頭してきたため、同時に海外貿易も賑わった時代とされています。権力や富を表現しようとしていたことが分かります。日本刀においても、その豪華絢爛な影響が現れています。この時期に入ると、今までとは全く違った色彩感覚の太刀が現れます。金の色糸を織りなす派手な色合いで、柄・帯取りの二の足の辺りまでを平組の紫・金茶の色糸で巻いているために、糸巻太刀とも呼ばれていました。鞘の部分は金梨子地(きんなしじ)、もしくは金沃懸地(きんいかけじ)であり、そこに佩用している人の家紋を描く、もしくは金の熨斗板で包んだものがあります。初めは、高級な武家が衣冠を着用するときに佩用した儀仗太刀であり、中身も同じく優れた刀が収められていました。江戸時代に入ってからは、儀仗用だけでなく、天皇や将軍家などの下賜に使われたり、大名同士で贈答するときにも使われました。他にも、日頃から厚く崇拝している氏神などへの奉納品として捧げていたということもあったそうです。現在でも全国の神社に残されている刀は、そのように奉納されて残っているというパターンも多いそうです。打刀の形もさまざまであり、戦場で実用するために大量に生産された簡単な作りの打刀と、金銀を使った豪華な打刀の両方がありました。

中古品の刀剣を手に入れたい

中古品であろうとなかろうと、日本刀をコレクションする前に知っていただきたいことの一つに、刀剣は湿気に弱く、拵などの装飾は日光の日差しに弱いという点であります。数百万円もするほどの刀剣のコレクションを手に入れたからといって、保管場所が適していなければせっかくのコレクションが台無しになってしまうこともあるでしょう。是非ともご購入前にお考え頂きたいのは、まずコレクションする条件の置き場所であります。一般的には、1メートル前後の置き場所が必要となってくるのではないでしょうか。現代家屋の中で床の間を探すのは大変難しいかもしれませんが、湿気が少なく日光が当たらない場所をまずは、ご自宅の中で吟味する必要があります。刀剣は、骨董市などの掘り出し物が少ないと言われています。楽屋価値を決めるのが作者であったり、傷やメンテナンスによるところが大きいよすです。作者によってほぼランクや価値が決まってしまうのが刀剣の見極めに繋がってくるようです。

刀剣の鑑賞会などでコレクションのイメージづくり

刀剣をコレクションする際、に皆さんには、まず美術館や博物館などで様々な日本刀を鑑賞していただくことによって、ご自身の好みやジャンルをまずは見極めていただくことが大切なポイントではないでしょうか。刀剣をコレクションするということは、現代ではそのフォルムやスタイルを目で見て楽しむということになります。ご自身の好みをあらかじめ見極めることによって、刀剣商などで手に入れるコレクションが見つけやすくなることも確かです。刀剣は、何よりもその作者などが重要視されますが、その他にも太刀、刀、脇指などといったような種類に分かれ、またその大きさやサイズの他にも、見た目による刀身の反れ具合、刀紋の乱れ具合などに、好みが大きく分かれるようです。美術館や博物館などのガラスショーケースの中の刀剣を鑑賞することのほかに、刀剣に実際に手で触れることができる鑑賞会などはいかがでしょうか。鑑賞会などで、実際に手にすることでその感触などから、実物を実感することができるチャンスもあるようです。刀剣を鑑賞するには、正式な服装などは求められないようですが、その場に適した TPO に合わせた衣服を身につけ、またその場のルールにきちんと従う上で鑑賞することが重要です。

日本刀の色彩技法・漆・背景の装飾

色揚げというのは日本刀の金工作品の表面を特殊な薬品で処理することによって、金属が本来持っている色とは異なる色合いに仕上げるという手法だそうです。色揚げによっては赤銅は真っ黒に、朧銀地は緑灰色に、素銅は褐色に、山銅は黄色味のある褐色となるのだそうです。漆というのは、鍔の錆の進行を抑える目的があるそうです。鉄鍔には漆が塗布されることがあったそうです。最近でも名刀村正が漆なしのそのままの姿で公開されることが決まったそうです。錆が出ないためにずっと漆をまとっていたそうです。古刀匠鐔や古甲冑師鐔などの古い作には黒漆が残される例が多いそうです。江戸時代には透明な漆を鉄鍔の錆の上から塗布しているという例もあるそうです。

錆地漆というのは、漆によって錆の風合いを出している作品のことをいうそうです。抑揚変化のある石目地のような趣が感じられるそうです。磨地というのは、光沢のある平滑な地面のことをいうそうです。魚子地というのは、金工作品における主題の背景処理のひとつだそうです。鏨を使って魚卵状の微細な突起を全面に打ち施したものだそうです。粒子の大きさが揃っていて、列を乱さずに美しく並んだものは、作者の気迫が伝わってきてとても感動するものだそうです。石目地というのは、金工作品において主題の背景処理の技法の一つだそうです。鏨や酸によって腐食などで表面をざらつかせた質感に仕上げる手法だそうです。

大小多様な石目地があって、また、特殊な鏨による縮緬地、花文地、皺皮文地などの地模様も石目地の一種となるそうです。槌目地というのは、鉄鐔などの表面に表している肌目の一種だそうです。槌で鍛錬したところの痕を残したものだそうです。

太刀と刀の違い

太刀と刀の違いは、その使い方にあります。太刀は刀よりも歴史が古く、平安時代には大量に生産されました。当時は腰帯にぶら下げて使うのが一般的でした。一方、刀の台頭は室町時代以降ですから、刀は腰に差して使うものとなりました。戦国時代になると、戦いの主流が騎馬から歩兵に変わったため、扱いやすい刀が重用されるようになりました。
 刀身の反りについても時代が変われば異なります。古代は直刀でしたが、平安時代以降に反りが加えられるようになりました。反りを加えたのには理由がありました。反りがあれば、長い刀身でも抜きやすくなるため、また力の伝わり方が効率的になるためでした。つまり扱いやすく、軽い力で相手を深く傷つけられる刀が主流となったのです。ところで短刀に関しては鎌倉時代まで反りが加えられませんでしたが、室町時代に入ると、徐々に反りが出現するようになりました。
 日本刀を造る上で、その材料に気を配ることは欠かせません。優れた日本刀を造るためには優れた材料を使う他なく、材料は日本刀の魂とも言うべきものです。材料の中核は玉鋼と呼ばれるもので、砂鉄から出来る鋼の一種です。玉鋼は元々「たたら製鉄」で製造されていましたが、近代以降は洋式高炉で生産されるようになりました。ヨーロッパの製鉄技術を取り入れてからしばらくの間、「たたら製鉄」は軽視され続けました。しかしたたら製鉄を抜きにして日本刀の再現は叶わないことから、戦後はたたら製鉄の復元が試みられるようになったのです。尽力したのは日本美術刀剣保存協会でした。

刀の役割

刀はそれぞれの部分によって、役割が決まっており、相手が振り下ろしてきたけんを受ける場所としての役目を果たすこともあれば、切りつける際に、なるべく鋭く相手に届くように加工する必要がある、と言うこともあるかもしれません。日本刀が好きな人にとってみれば、この辺りの刀の一部分に、とくべつな思いを抱く人はとても多いというふうにも言われており、非常に面白い部分であるといえるかもしれません。刀がもっともその実力や真価を発揮するものの一つとして、バロメーターのように機能するものとすれば、当然、切れ味であるという風に言えるかもしれません。アートや芸術心の一つとして考えるのならば、美術的価値として、鑑賞するということも役目の一つであるという風に言えるわけですが、元来の、日本刀というものは戦で用いるものであり、そう簡単には折れたりせず、曲がったりせず、使いやすいというようなことが、必要条件であったという風に言えるかもしれません。そして、これに加えて、何よりも現代では絶対に使ってはなりませんが切れ味というものも、重視されていたのではないでしょうか。日本刀が、第一線の武器として使われていた時代においては、どれだけ相手にダメージを負わせられるか、ということが重要になってきていたために、洗練されていったというふうに考えられるわけです。ただし、現代においても、日本刀がしっかりと切れ味を持っているということを、どのように証明すれば良いのかということについては、意見が分かれている点であるという風に言えるかもしれません。つまり、どのように定義すればよいのか、ということや、切れるということが、一体どのようなものを指すのかと言うことも含めて、考えなければならないというわけです。最近では、テレビ番組などでも日本刀を用いた切れ味の検証などが行われていることも多いわけですが、そのようにしてバラエティ的に取り上げた切れ味というものが、果たして本当の刀の切れ味であるかどうかという点については、異論が多い所であるという風に言えるかもしれません。

鋼について

鋼というのは、炭素量0.03〜1.7%のもので、加熱して、たたけば伸びるものもあるそうです。玉鋼は、炭素含有量が日本刀製作に適しているそうです。そのまま素材として使用されているそうです。玉鋼に相当する材料にするために、炭素量が多い銑は、脱炭して炭素量を減らすそうです。少ない鉄の場合は浸炭させて炭素量を調節するなどして加工するそうです。このように日本刀製作に用いるために炭素量を調節して材料にすることを卸鉄(おろしがね)というそうです。近代製鉄の高炉法というのは、鉄鉱石とコークス(石炭を蒸し焼きにしたもの)を原料としているそうです。酸化鉄中の酸素をコークスと結合させて取り除いて、銑鉄を作っているそうです。これを転炉で精錬して、鉄鋼を生産しているそうです。刀剣界では、和鉄・和鋼に対して、洋鉄・洋鋼ということがあるそうです。鉄鋼というのは、含有炭素やほかの合金成分、加工法や熱処理の組み合わせなどによって、強度や靭性(粘り強さ)、そのほかの特性が著しく広範囲に変化するそうです。それぞれの用途によって、極めて多くの種類の鉄鋼材料があるそうです。玉鋼は、炭素以外のほかの合金成分を含まない鉄と炭素だけの炭素鋼だそうです。ケイ素Si,燐P、硫黄S、チタンTiなどが微量含まれているそうですが、玉鋼の性質に影響を与えない程度のものだそうです。鉄鋼というのは、鉄の結晶がたくさん集まっている多結晶体だそうです。
ある結晶構造が、温度変化にともなってほかの結晶構造にかわることを相変態というそうです。鉄鋼に現れる結晶集合組織(相)というのは、炭素量と温度によって変わってくるそうです。温度をゆっくり変化させたときに生じる鉄の結晶組織だそうです。

日本刀の歴史について

現存する最古の在銘刀というのは、伯耆国安綱という人が作ったものであり、彼のことを「日本刀工の祖」という説もあります。鎬造りの彎刀である太刀の出現というのは、平安中期以降と言われており、これは長寸にして騎馬戦で使いやすいようになっているものです。この長寸で反りが高く進化した太刀というものは、武士団の勢力が増大しはじめた11世紀後半以降から、盛んに作られるようになったそうです。武士団の勢力が増大しはじめたからだそうです。(前九年の役、後三年の役以降)
平安中期から江戸時代になる直前、慶長年間より前までにつくられた刀剣類は古刀に分類されました。上古刀というのは、刀身と柄が一体の共柄ということでしたが、太刀、刀、脇差というのは、刀身と柄は別々に製作されています。そして竹目釘というもので、刀身と柄は接合一体化されていました。
古刀期以後の日本刀というのは、反り、鎬造り、目釘が特徴であり、刀剣類として国宝第一号に指定されたのは、名物童子切安綱というものです。これは天下五剣の一振りとのことです。安綱という人は、平安時代後期の伯耆国の刀工であります。日本刀における「名物」というのは、伝説や伝承が残っている由緒ある刀剣のことをいいます。童子切の名前は「源頼光が丹波大江山に棲む酒呑童子という鬼の首を切り落とした」という伝説から由来しているのです。
鎌倉時代以降は、日本刀の製作がとても活発になり、それは武家の政治の体制になったからであります。この頃から多くの名工が出て、日本刀の姿形もそれぞれの時代を反映したものに変わってきていました。また、このころから短刀と薙刀の製作も盛んにおこなわれるようになり、日本刀はどんどん成長を遂げていきました。