斬れ味を確認する試し斬り

日本刀は武器であるために、その斬れ味は非常に重要なポイントとなります。どれだけ斬れるのかを確認するには、当然ながら実戦で人を斬れば分かります。しかし時代の移り変わりと共に実戦で刀を使用する機会も減っていったために、刑死した人間の体を使って試しに斬るという「試し斬り」が行われるようになりました。斬首をして亡くなった人の死体を試し斬りする場合には、体の部分によって硬さが違いました。例えば骨の多い部分と少ない部分を斬った場合には斬れ味が違ってしまうため、刀の鋭さを見るためには、どの部分を試し斬りしたのかを明確にしておく必要がありました。そのため、胴体にはさまざまな名称がつけられており、どこを斬ったのかを分かりやすくしておきました。ほとんどの場合真横に斬りますが、首の下辺りから下腹の辺りまでを、上から順に摺付け、脇毛、一の胴、二の胴、三の胴、本胴、八枚目、車先、間の車、諸車と呼んで区別していました。別には首の横から脇の下までを斜めに斬る小袈裟、大袈裟と呼ばれる斬り方もありました。さらに胴体も一つだけではなく、いくつかを重ねることで難易度を上げていきました。これは一つ胴、二つ胴と呼んでいます。胴体は土壇と呼ばれる土で作った台に寝かせられています。試し斬りをしたときの記録に「土壇払い」「土壇払イ」と書かれることがありますが、これは胴体を完全に切断し、土壇まで刃が届いたということになります。また、鍔の部分に重量をつけて重さをつけることで斬りやすくしていたこともあったそうです。そのため「二つ胴 無鍔 裁断」というと、鍔で重さをつけずに二つの体を斬ることができたと言えるので、斬れ味が良かったものと伝わります。

繁慶ほか

繁慶というのは、江戸時代前期の武蔵国の日本刀・新刀の刀工だそうです。もとは鉄砲工で初銘は、清尭だそうです。徳川家康に仕えたそうです。駿府において刀鍛冶に転向したそうです。鉄砲鍛冶の技を活用して鍛刀に励んだそうです。相州上工の正宗、郷義弘、越中則重を彷彿とさせるそうで愛好者も多いそうです。久國というのは江戸時代中期の土佐国の人だそうです。戸田氏。土佐国幡多郡出身だそうです。上野大掾國益の門人だそうです。のちに養子になったそうで、木村平右衛門尉と改名したそうです。上京して、近江守久道二代に入門したそうです。上野大掾を受領したそうです。のちに上野守となったそうです。土佐藩主山内豊敷に拝謁して、自作の刀五振りを献上したそうです。久道の初代は江戸時代の山城国の刀工だそうです。堀六郎兵衛。本国は近江国野洲だそうです。和泉守来金道に学んで大成したそうです。近江守を受領したそうです。久道三代は、江戸時代中期の山城国の人だそうです。十九歳のときに、近江守を受領したそうです。江戸の浜御殿において鍛刀したそうです。三ヶ月間の在府中に、徳川将軍家蔵刀の正宗、一文字を拝見することが許されたそうです。若狭正宗、児手柏包永写しを拝命したそうです。廣次というのは、江戸時代前期の肥前国の人だそうです。中山廣右衛門。平戸に移住した筑前左の一派である平戸左の末裔だそうです。松浦家に仕えたそうです。廣信というのは、江戸時代前期の山城国の人だそうです。伊藤権左衛門。弘包は、江戸時代初期の摂津国の人だそうです。弘包初代で、文殊八左衛門、または八郎右衛門と称するそうです。大和伝に華麗な大阪新刀の作風を導入したのだそうです。

新撰組一の天才剣士「沖田総司」

歴史上の人物、沖田総司は、新撰組一の天才剣士などと思う呼び声高かったようです。新撰組の一番隊組長として時代を駆け抜けた彼は、27年間の短い月日をどのように駆け抜けたのでしょうか。その性格はフレンドリーで人見知りのない人柄であったなどとも言われております。師匠である近藤勇に対しても、敬う気持ちがとても強かった人物像であるようです。幼いうちに両親を亡くしているため、師匠である近藤勇の養父であった近藤俊輔のもとに引き取られることになったようです。ここで、新撰組をなす近藤勇土方歳三らと出逢う運命であったようです。沖田総司は、近藤勇らとの出会いの中で厳しい剣術を学び、彼らと共に武士としての生き方を模索していたようです。このような師弟関係の中で、近藤勇が開国しそうに突き進む中、沖田総司は近藤に従い、 天才剣士として新撰組を率いてもいたようです。沖田総司は、結核を患うことが原因となり短命であったとされているようです。

刀装具の美しさ

日本刀の美しさは、刀身にスポットライトが当てられがちですが、刀装具も、実用的な中での限られた美を追求する、凛とした緊張感のある美意識がそこに見つけることができます。刀は武器として人々に使われることを目的に、作られ始めたことから、実用性や機能性を兼ねたものが形として表れています。時代の中では、時として装飾品や美術品としての役割を果たしてきておりますが、本来の機能美や実用美が、日本刀の価値を高めているとも言われています。刀剣コレクターの中には、刀身に注目を集める人々もいれば、刀装具に注目いるような人々もいるようです。刀剣は、美術品としての鑑賞ポイントは人それぞれですが、刀身にも、装具にもお互いにストーリーがあり、歴史が紡がれているようです。刀剣は、時に人の命を奪うものでありますが、命を守るものでもあるのです。このような緊張感が、日本刀には備わっているのだと感じる瞬間があります。コンパクトで小さな刀装具にも、武士たちは、命を託してきた歴史がそこにはあるのです。

刀剣コレクターを目指して

初心者が日本刀を手にしたいと考える場合、まずは、メンテナンスや保管場所をお考えなくてはならないでしょう。さらにはコレクションする刀剣が、古刀でor新刀であるのかをまずは分類として定めることが重要です。そして予算によって、その選択枠はだいぶ変わってくるようです。刀剣の専門点などでは、専門的な知識を得たスタッフさんが様々な情報とともにアドバイスをいただけるでしょう。何よりも初めて刀剣をコレクションする際には、どんなことを基準に購入するべきなのかといったようなことが、全く右も左も分からない状態であるのではないでしょうか。まずは自分自身の基準を定めるためにも予算は重要な手掛かりとなってくるはずです。そこからお店のスタッフの方などと様々なジャンルの刀剣の種類から選び抜くことが必要となりますが、刀剣は欲しいと思って購入する既製品とは異なります。観賞用のピン「模造刀」などもありますが、 在銘品は簡単に手にできるものではないはずです。刀剣は、ピンからキリまでありますが、コレクションをするためのものとなると気軽に手に入るもので満足できるかと言いますとなかなかそうはいかないもののようです。刀剣のかつや価格は希少性に値するんだとも言われています。何よりも皆さんの好みを探ることによって、念願の一振りに出会えるのではないでしょうか。

刀剣はストーリーを語る

日本刀コレクションする魅力の一つとしては、何百年も昔の歴史のストーリーがある点かもしれません。消して日本史上や教科書などでは語られないような物語がいくつもそこに関わっていることで、現在の私達の目の前でその姿を披露してくれているんだと思います。また世界各国の好きな頭から比較すると日本刀の美しさは別格であるなどという人もいるようです。実際に海外から日本刀をコレクションするためにインバウンドとして訪れる人々もいるようなのです。日本刀は日本の文化を伝える上で大変貴重な存在であるのではないでしょうか。もし皆さんが日本刀を手にしたいと考えられるのであれば、まずその保管場所を見つけなくてはならないでしょう。刀剣は、湿気に弱く、装飾は日差しに弱いなどと言われ、その保管場所は大変難しいなどとも言われています。また、保管場所以外にも定期的なメンテナンスが大変重要と考えられています。日本とは生き物であります。そのような想いをもって接することで、未来の人々に物語を伝承することができるのだと思われます。

安土桃山時代の技法

安土桃山時代に入ると、織田信長や豊臣秀吉の支配する時代に入ります。豪華絢爛な文化がさまざま生まれた時代とも言われています。この時代は、海外発展や国内の革新に積極的な時代であり、西洋文化を取り入れようという動きも盛んに行われていました。いわゆる南蛮文化と呼ばれるものです。西洋の輸入品が影響したとも言われています。また、下剋上で勝ち抜いてきた新たな勢力が台頭してきたため、同時に海外貿易も賑わった時代とされています。権力や富を表現しようとしていたことが分かります。日本刀においても、その豪華絢爛な影響が現れています。この時期に入ると、今までとは全く違った色彩感覚の太刀が現れます。金の色糸を織りなす派手な色合いで、柄・帯取りの二の足の辺りまでを平組の紫・金茶の色糸で巻いているために、糸巻太刀とも呼ばれていました。鞘の部分は金梨子地(きんなしじ)、もしくは金沃懸地(きんいかけじ)であり、そこに佩用している人の家紋を描く、もしくは金の熨斗板で包んだものがあります。初めは、高級な武家が衣冠を着用するときに佩用した儀仗太刀であり、中身も同じく優れた刀が収められていました。江戸時代に入ってからは、儀仗用だけでなく、天皇や将軍家などの下賜に使われたり、大名同士で贈答するときにも使われました。他にも、日頃から厚く崇拝している氏神などへの奉納品として捧げていたということもあったそうです。現在でも全国の神社に残されている刀は、そのように奉納されて残っているというパターンも多いそうです。打刀の形もさまざまであり、戦場で実用するために大量に生産された簡単な作りの打刀と、金銀を使った豪華な打刀の両方がありました。

中古品の刀剣を手に入れたい

中古品であろうとなかろうと、日本刀をコレクションする前に知っていただきたいことの一つに、刀剣は湿気に弱く、拵などの装飾は日光の日差しに弱いという点であります。数百万円もするほどの刀剣のコレクションを手に入れたからといって、保管場所が適していなければせっかくのコレクションが台無しになってしまうこともあるでしょう。是非ともご購入前にお考え頂きたいのは、まずコレクションする条件の置き場所であります。一般的には、1メートル前後の置き場所が必要となってくるのではないでしょうか。現代家屋の中で床の間を探すのは大変難しいかもしれませんが、湿気が少なく日光が当たらない場所をまずは、ご自宅の中で吟味する必要があります。刀剣は、骨董市などの掘り出し物が少ないと言われています。楽屋価値を決めるのが作者であったり、傷やメンテナンスによるところが大きいよすです。作者によってほぼランクや価値が決まってしまうのが刀剣の見極めに繋がってくるようです。

刀剣の鑑賞会などでコレクションのイメージづくり

刀剣をコレクションする際、に皆さんには、まず美術館や博物館などで様々な日本刀を鑑賞していただくことによって、ご自身の好みやジャンルをまずは見極めていただくことが大切なポイントではないでしょうか。刀剣をコレクションするということは、現代ではそのフォルムやスタイルを目で見て楽しむということになります。ご自身の好みをあらかじめ見極めることによって、刀剣商などで手に入れるコレクションが見つけやすくなることも確かです。刀剣は、何よりもその作者などが重要視されますが、その他にも太刀、刀、脇指などといったような種類に分かれ、またその大きさやサイズの他にも、見た目による刀身の反れ具合、刀紋の乱れ具合などに、好みが大きく分かれるようです。美術館や博物館などのガラスショーケースの中の刀剣を鑑賞することのほかに、刀剣に実際に手で触れることができる鑑賞会などはいかがでしょうか。鑑賞会などで、実際に手にすることでその感触などから、実物を実感することができるチャンスもあるようです。刀剣を鑑賞するには、正式な服装などは求められないようですが、その場に適した TPO に合わせた衣服を身につけ、またその場のルールにきちんと従う上で鑑賞することが重要です。

日本刀の色彩技法・漆・背景の装飾

色揚げというのは日本刀の金工作品の表面を特殊な薬品で処理することによって、金属が本来持っている色とは異なる色合いに仕上げるという手法だそうです。色揚げによっては赤銅は真っ黒に、朧銀地は緑灰色に、素銅は褐色に、山銅は黄色味のある褐色となるのだそうです。漆というのは、鍔の錆の進行を抑える目的があるそうです。鉄鍔には漆が塗布されることがあったそうです。最近でも名刀村正が漆なしのそのままの姿で公開されることが決まったそうです。錆が出ないためにずっと漆をまとっていたそうです。古刀匠鐔や古甲冑師鐔などの古い作には黒漆が残される例が多いそうです。江戸時代には透明な漆を鉄鍔の錆の上から塗布しているという例もあるそうです。

錆地漆というのは、漆によって錆の風合いを出している作品のことをいうそうです。抑揚変化のある石目地のような趣が感じられるそうです。磨地というのは、光沢のある平滑な地面のことをいうそうです。魚子地というのは、金工作品における主題の背景処理のひとつだそうです。鏨を使って魚卵状の微細な突起を全面に打ち施したものだそうです。粒子の大きさが揃っていて、列を乱さずに美しく並んだものは、作者の気迫が伝わってきてとても感動するものだそうです。石目地というのは、金工作品において主題の背景処理の技法の一つだそうです。鏨や酸によって腐食などで表面をざらつかせた質感に仕上げる手法だそうです。

大小多様な石目地があって、また、特殊な鏨による縮緬地、花文地、皺皮文地などの地模様も石目地の一種となるそうです。槌目地というのは、鉄鐔などの表面に表している肌目の一種だそうです。槌で鍛錬したところの痕を残したものだそうです。