安土桃山時代の技法

安土桃山時代に入ると、織田信長や豊臣秀吉の支配する時代に入ります。豪華絢爛な文化がさまざま生まれた時代とも言われています。この時代は、海外発展や国内の革新に積極的な時代であり、西洋文化を取り入れようという動きも盛んに行われていました。いわゆる南蛮文化と呼ばれるものです。西洋の輸入品が影響したとも言われています。また、下剋上で勝ち抜いてきた新たな勢力が台頭してきたため、同時に海外貿易も賑わった時代とされています。権力や富を表現しようとしていたことが分かります。日本刀においても、その豪華絢爛な影響が現れています。この時期に入ると、今までとは全く違った色彩感覚の太刀が現れます。金の色糸を織りなす派手な色合いで、柄・帯取りの二の足の辺りまでを平組の紫・金茶の色糸で巻いているために、糸巻太刀とも呼ばれていました。鞘の部分は金梨子地(きんなしじ)、もしくは金沃懸地(きんいかけじ)であり、そこに佩用している人の家紋を描く、もしくは金の熨斗板で包んだものがあります。初めは、高級な武家が衣冠を着用するときに佩用した儀仗太刀であり、中身も同じく優れた刀が収められていました。江戸時代に入ってからは、儀仗用だけでなく、天皇や将軍家などの下賜に使われたり、大名同士で贈答するときにも使われました。他にも、日頃から厚く崇拝している氏神などへの奉納品として捧げていたということもあったそうです。現在でも全国の神社に残されている刀は、そのように奉納されて残っているというパターンも多いそうです。打刀の形もさまざまであり、戦場で実用するために大量に生産された簡単な作りの打刀と、金銀を使った豪華な打刀の両方がありました。

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