平和と刀

 日本刀という表象は決して戦争を肯定するものではありません。平和を願う気持ちから発現している文化だと言えます。実際戦争の只中で、日本刀の神性を信じて勝利と平和を願ったのでした。天皇から司令官や大使に下賜された日本刀は、権力委任の象徴として大切に扱われました。続日本紀のような古い文献にもその模様が描かれており、元明天皇が与えた刀を蝦夷将軍が大切に扱い、任務が終わった後に返納したとされます。武家政権が続いてからはこうした儀式は簡素化しましたが、日本刀という表象が持つ意味を現代に伝えています。
 ところで皇室における日本刀とはどのような意味を持つのでしょうか。草薙の太刀はすぐに思い浮かべられますが、三種の神器以外にも知りたいものです。皇室には他にも神聖視してきた刀が存在します。壺切御剣などもその一つでしょう。宇多天皇が授けた刀剣で、以後は儀式として定着しました。もちろん刀剣を造ったのは皇室ではなく藤原家で、基経が献上したと考えられています。皇室とは儀式そのものなので、藤原家が栄華を誇った時代は儀式が簡素化したり、蔑ろにされたりしました。例えば11世紀には御一条天皇の意向による立太子に藤原家が反対し、壺切御剣の献上が実現しませんでした。皇室と儀式と刀剣の関係性を考える上で、非常に興味深いエピソードです。
 刀剣の文化は長い歴史を誇りますから、もはや神性の話に留まらず、歴史学的な解明にも貢献することがあります。例えば古墳から出土した鉄剣には、様々な情報が眠っていることでしょう。実際、稲荷山古墳から発見された刀剣には、銘文が隠されていました。保存処理によって出現したのです。その銘文の一部から分かったのは、雄略天皇の側近の功績と共に、ヤマト政権の勢力の地理的範囲でした。

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